食道癌(2)

100年ライフ.comの山本です。前回、私の食道癌の話をメルマガでお伝えしましたが、もう少し、お付き合いください。前回は東大病院に入院する前までの話でした。

私が食道癌という診断を受けて入院したのが今年の3月6日でした。この日は誕生日の一日前。まあ、なんという誕生日かと思いながら入院しました。当初の予定は2週間入院して抗がん剤治療を行い1週間帰宅、それを3回繰り返して手術に臨むというものでした。手術は食道の癌の部分を取り、胃を伸ばしてつなげるものです。ただ、食道がんの位置は声帯に近く、もしかしたら声が出なくなる可能性もあるといわれてました。ちなみに、抗がん剤治療では毛髪が抜けるだろうと予想し、頭はバリカンを買って事前に坊主にしていました。これが意外と似合っていたと自分では思っています。

入院して数日は病院でおかゆ中心の食事をいただきました。癌のせいで嚥下が厳しくなっていました。ただ、おかゆばかりではつらいので、海苔の佃煮を家から持ち込んで味をつけてました。その後、おかゆ中心の食事は数日で終わりました。胃瘻の手術をし、口からは食事どころか水分も取ってはいけないということになったのです。また、治療の方針がすぐに変わり、まずは放射線治療を5週間で25回、その間に抗がん剤治療も併用するというものになりました。

癌を経験した知り合いは、ずっと放射線治療が良いと勧めてくれました。最近の癌治療は切らないのがトレンドとか。なので、自分ももし放射線治療でよくなるのであればそれは好都合だと思ってました。

入院してからは微熱も続き、コロナで世の中も危なくなってきたので、放射線治療の間はずっと入院することに決めました。放射線治療自体は毎朝5分から10分で終わるのですが、家から東大病院の往復の間にコロナに感染することが怖かったからです。医師の方々はいい人ばかりで、看護師さんもとてもよくしてくれました。看護師さんは可愛い子が多かったです。

3月6日から4月20日まで第一回目の入院が続きました。この間、辛かったのはとにかく口にものを入れて味わうことができなかったこと、胃瘻を一日3回自分でやるのがなんか面倒だったこと、それから寝ているときに唾が呑み込めないために、とにかく出てきたつばを出さなければならず、そのために夜に何度か起きなければならなかったこと、謎の微熱がとにかく下がらなかったことでしょうか。あとはとにかく暇なので、NETFLIXの海外ドラマを見てました。本は普段読まないような本を読もうと思いましたが、「宇宙と宇宙をつなぐ理論」というIUT理論を易しくかみ砕いた本を読んだら、やっぱりこういう時は無理だなと思わされました。

放射線治療は痛みもないし、抗がん剤も別に毛髪が抜けるわけでもなかったので、良くなっているのかどうかは正直、実感できなかったのですが、退院の一週間か二週間前に寝ている最中に唾が呑み込めるようになり、かなり睡眠が楽になったのを覚えています。ただ、嚥下のテストを受けても、入院中はなかなか口からの水分や食べ物の摂取は許してもらえませんでした。

放射線治療が終わったところで一度、退院しました。胃瘻による栄養補給以外はそれほど不自由は感じませんでした。退院後、何度か通院をしました。通院しての検査でよかったのは、口から水分や食物の摂取も許されたことでしょうか。残念だったのは、決して放射線治療で癌がとり切れたわけではなく、やはり手術をしないといけないということが決まったことでした。

ということで、再度の入院は5月25日、手術は5月27日と決まりました。手術の内容は食道の全摘をして、胃を伸ばしてつなぐというものです。声が出なくなる可能性もなくなったわけでもないようでした。

二回目の入院以降のお話は、次のメルマガでお伝えしようと思います。