今週、あるところで、異業種で職種の異なる女性に集まっていただき、女性にとって職場をより働きやすくするためのデジタルサービスを考えるワークショップをやりました。私自身は、もともと中学、高校、大学、大学院とほとんど男子校のような環境で育ったので、女性が得意というタイプではありません。ワークショップはまさにアウェーのような環境でしたが、実施してみると中身はなかなか興味深いものがありました。
当初、こちらで想定していたシナリオはこんな感じでした。
① 女性は男性よりもライフステージが多様。
② 男女平等と言いながらも、女性が働いてくときに、結婚、出産、育児、更には介護のようなことは男性よりも影響が大きいはず。
③ だから、ライフステージの変化に対応するようなサービスが必要ではないか。
ところがそういうフレームワークを設定しておいたのにもかかわらず、そこで女性の方々が求めていたものは、ライフステージの変化へのサポートよりも、職場での平等な扱いでした。具体的な内容はここでは書けませんが、今の企業では、やはり女性が不公平に感じる場面は少なくないということを実感した次第です。
さて、人生100年の時代を生きるために、60歳以降も企業に残る、このことを「平等」という視点から考えてみましょう。役職を離れ、これまで定年になるはずだった身で会社に残った場合、結構、「平等」は簡単なものではありません。役職者でなくなると、自分より年下の上司に仕えることが普通になります。自分がこれまでに与えられた仕事は、今後も企業にとって重要であるならば、本来ならばそれを自分でやるのではなく、基本的には自分よりも若い人に伝承する義務があります。それでは、アドバイザー的な立ち位置を取れるかといえば、本当に重要なアドバイスが立場に関係なくできるスキルがあるかどうかを考えなければいけません。経験だけではだめです。多くの経験は条件が同じだから生きるのであって、前提条件が違ったら経験だけのアドバイスは何の役にも立たないのです。年長者だからと言う理由だけでそのような立場にたてば、そこで出てくる疑問が、「平等なんだろうか」です。
今までいた企業に60歳を超えて残ったとしても、求められるものはこれまでの仕事の延長ではなく、新しい仕事の創出で、しかも、それが企業の現役の社員にとって邪魔にはならず、本当に必要なものでなければなりません。決して、余生ではないのです。それでなければ、若い人から「平等」とは思われないでしょう。若い人や女性が求める「平等」をつきつめて考えると、60歳を超えて会社に残ることも結構、チャレンジなのかもしれません。